by Kirin(2008-03-24 15:19:04)
思わず出て来てしまいました。
「年収300万の人間に、年収1000万の人に売る商品の世界観は出せない。
だから、無理してもなるべく一流の場所を見て回るようにしてる…」
これと同じ様なことを、まだデザイン系の学生だった頃に、
恩師の学校長(元デザイナー)に言われたました。
若い頃は、経済的に許される範囲で購入出来る物ならば、
無理してでも「高級な物」を買っていました。
デザイナーなりたての丁稚奉公時代は、年収100万なかったですしね。
「一流を知る」ことって、その頃の課題の様なものでした。
一時期、個人的にバブリーな時期を経験し、若い頃の10倍以上の年収を
稼ぎ出していた頃もありましたが、生活はフツーでした(笑)
現在、当時の半分以下の収入で落ち着きましたが、
「リーズナブルな物をいかに高そうに見せるか・・・」
または、「高そうに見えて実はリーズナブルな物を探し出すか」に・・・。
歳とともに物欲も減ってきましたね。
こだわる場所が「物」でなくなって来てる様で、
デザイナーとしては、ちょっと危険信号です。
by Hidden(2008-03-24 19:38:32)
Kirinさん>>
ようこそ、お出ましくださいました(笑)
反応してくださって、うれしいです。
アウトプットの質をあげるために、
上質のイメージソースを。
デザイナーに限ったことではないですが、
「一流を知る」ことで磨かれていく自分に、
なけなしの金をはたいて、どん欲に吸収しようとしたこと。
20代って、そのためにある時期のように思いました。
もちろん、年相応に「一流を知る」モチベーションを
持ち続けることは大切ですが、
アウトプットに、蓄積されたイメージソースから熟成した
自分のエキスを加えることも大切になってきますよね。
商業デザイナーは芸術家じゃない!ってことは百も承知
ですが、ただ器用に目の前の案件をさばくだけじゃ、
勢いのある若手にかなわなくなってくると思うし。
こだわるものが「モノ」でなくなる気持ち、同感です。
歳ばかりでなく、世の中の流れでもあるように思います。
カタチにすることがデザイナーではあるけれど、
カタチにならない満足感を提供することも、仕事の一部に
なってきていると思うし、それは生きていくうえでのテーマ
だったりしますね。
「足を知る」でなければ、差分を埋める何かを他人様に提供
できないでしょうし…。