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今あえて「ファイト・クラブ」

2008年5月26日 レビュー

2週間ほど前だったか、本屋の雑誌コーナーで、ブラッド・ピットが表紙の見慣れぬ雑誌があった。
「FREEDAMED」(フリーダムド)という名前の雑誌で、Premire issue Vol.1だから見たことがないのも当然か。
「CUT」のような映画&音楽のカルチャー誌なのかと手にとってページをめくろうとしたら、目に飛び込んできたのが「WELCOME TO FIGHT CLUB.」の文字。
「えっ?《ファイト・クラブ》の特集なの?」......確かにブラピはあの当時の写真だ。わくわくしながら巻頭ページをめくっていくと、表紙と同じフォトセッションがそのままつづき、それぞれにMISCHIEF、MAYHEM、SOAPという単語がふられていた。ふっふっふ、やってくれるね。

映画「ファイト・クラブ」をご存じですか?
ブラッド・ピット、エドワード・ノートン主演1999年12月に日本公開された、ある種の人間に強烈な一撃を与えた作品。僕にとっては、この10年で観た映画のもっとも好きな1本かもしれない。
タイトルからは格闘モノを想像してしまうけど、NO. NO. NO.
ジャンル分けは難しいなぁ。先進国の現代社会で、システムや物質から「男性性」と「生の実感」を呼び覚まそうと、皮肉をこめた逆説的な手段に出る話、とでも要約してみようかな。ざっくりだけどね。
作品中、銃で撃たれて死ぬのは1人だけなのに、作品が孕む暴力性について、公開前から物議をかもしていた。
「男性性とはなにか」「社会学的には?」「グローバル化、金融社会の破綻とは?」などいろんな切り口で語ることができる映画なのに。
暴力性というキーワードでタグ付けしてしまう単純な人たちへ中指を立て、エドワード・ノートン演じる男の名前がジャックだと勘違いしている読解力のない人を笑ってる映画なのに(WEB上に存在するストーリー解説で堂々とそう記されているものが結構ある)。

映画のラストで、クレジット会社の集まる金融ビル群を爆破で倒壊するのを、高層ビル上階から高みの見物をしてるのが、TV画面を通して貿易センタービルが崩れ落ちるのを目撃したあの時と重なるとして、まちがってもゴールデンタイムでのTV放送などあり得ない作品として現在にいたっている。
まるで映画で語られるファイト・クラブのルールその1「クラブのことを口外するな」がリアルな世界で守られているかのように、知る人ぞ知るマニアックな映画として位置づけられているのが、映画に生命感を与えてくれたように思う。
誰もが知ってる名作でないからこそ、この映画を愛してやまない人はけっこういるようで、作品のモチーフがさまざまなカタチで模倣されてきたし、語り継がれている。
だから「FREEDAMED」という、得体の知れない焦燥感に突き動かされて作ったかのような雑誌の第一号に「ファイト・クラブ」が特集され、タイラー・ダーデン口調でのテキストを目にしたところで、「なんでいまごろ?」とは思わなかった。
いまだそういう時代だし、この映画が好きだったならそろそろ効き目が弱くなった頃だと思ってサ、と誰かがご親切を名乗り出てくれたようなもの。

いけない、いけない。やたら饒舌になってしまってる。
いろんな切り口がある映画だけど、自分が一番リアルに感じたのは、バーチャルとリアル(フィジカル)のバランス。ちょうどWebの仕事をはじめて数年経ち、ストリートダンスで得られる身体感覚があったことで、個のバランスをとっていた時期だったから。



僕はどちらかといえば、エドワード・ノートン演じる男のような、物事「頭」で分かろうとする、自分のパーソナリティを持ち物や服、好きな映画や音楽に求めるようなヤツだった。つまり自分以外のもので自分という輪郭を作ってきた。
高校時代まで身体の弱かった僕は、身体を使って得た実感というものに縁遠かった。
30も半ばになる頃にストリートダンスと出会って、身体を動かす喜び、音と身体が一体となる喜び、そして人に見られスポットライトを浴びる快感を知ってしまった。
文字情報は時間と共に記憶からきれいさっぱり消えていくけど、身体感覚は細胞レベルに刻みこまれるので、忘れたと思っても感覚として蘇ってくる。高揚感と緊張、苦痛と快感。そこから「生きてる」という実感がやたら感じることができた。
ステージの上で踊ることから離れてずいぶん経つけど、いまでもジムのHIPHOPクラスに出たりすると、細胞が喜んでることが分かる。そして身体が意識しているように動かないことのジレンマも蘇ってくる。

ダンスをやっていてすごく自分の実になったと思っているのは、年齢や職業、社会的地位に関係なく、カッコよく踊れるヤツが一番エライ、というかリスペクトされるってこと。会社である程度のポジションにいる人だと、肩書きがなくなった自分に何が残る?と不安になるかもしれないね。でもその感覚、まさに「ファイト・クラブ」でしょ?



頭の中でイメージしていることを、リアルな世界にアウトプットすることは、たやすくはない。
リアルな実感を頭の中で再構築して、ふたたびリアルへアウトプットすることにも、才が必要だ。

「ファイト・クラブ」という映画は、たしかに現在ではテロを予見させるヤバイ部分もある。だけど映画として、これほど身体感覚を呼び覚ましてくれる映画はそうはない。「男ならわかるだろ?」という男脳的内容に、置いていかれちゃう人も多いだろう。それでも、10年経った今でもリアルな感覚へのアウトプットは色あせていない。10年前はもっと鮮度があったけど。
リアルを呼び覚ますそのクリエイティブなパワーに改めてリスペクト。



written by Hidden:アイデアビューロー・Webチームのアートディレクター。

コメント

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  1. 01

    Posted by 詩菜 2009年2月23日 19:17

    ありがとうございます!!
    私の父が作った雑誌ということで
    こんなコメントをしていただくと思うとすごく嬉しいです!!
    今は会社の関係で2号が遅れていますが、
    ぜひ、2号もお読みください!!

  2. 02

    Posted by TZK 2009年2月24日 15:00

    詩菜さん>>

    おお!お父さんが作られた雑誌だったんですか!
    コメント入れていただいて嬉しく思います。
    「ファイトクラブ」への熱い想いが伝わってくる雑誌でした。
    2号以降、どんな特集をやらかしてくれてるのだろう?
    と雑誌コーナーで時々「FREEDAMED」のタイトルを探す時があります。
    2号、楽しみにしています!

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